上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
先日ボクシングの試合について、
打出の小槌を手にしたマスメディアの例を挙げた。
もっともっと感じていることが、実はある。
事件報道だ。

報道の自由、国民の知る権利。。。
そんな言葉に踊らされ、
現場にリポーターが踏み込んでいく。
知らなくてもいい情報がどんどんえぐられていく。
事件がショーとなっていく。

悲しい事件はより悲しく。
悲惨な事件はより惨状をあらわに。

事件のたびに繰り返される報道合戦。

報道を規制せよといっているのではない。
報道の倫理観を問うているだけ。
そして
ショーを見続けるわれわれ自身の倫理観を問うているだけ。

われわれのものさしには、
いったいどんな目盛りがくっついているのだろうか。
いつから目盛りが変わってしまったのだろうか。。。

価値観・判断基準。。。

『面白くなければテレビではない。。。』
一世を風靡したメッセージ。
この言葉の犯した罪は、とてつもなく大きいと感じる。。。

使い捨ての打出の小槌はいくらでも代替がきく。
振って振って振りきって、小判が出なくなったら、はい次。

捨てられた打出の小槌の隣で、
新たな打出の小槌が、
きょうもまたひとつ、よってたかって振り回されるのだろうか。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。